身体治療家のこころの話(タオとユング)

ユング・道教・東洋医学大好き!鍼・灸・マッサージ開業しつつ、こころと身体のセッションをしているわたし独自の視点で書いてます

宇宙を創造したのをどう呼びますか?

こんにちは、身体治療家がこころの話をする*さわ です。

 

人間には及びもつかないものの存在を感じることはありますか?

誰にでも一度ぐらいはあるんじゃないかと思います。

 

そうゆう存在を、「神」「仏」「天使」などいろんな名前で呼ばれています。

あなたはどんな名で表現しますか?

 

わたしはこんな風に表現します。

名づけえないものを仮に道(タオ)という

わたしは東洋医学者なので「道(タオ)」という言い方をよく使います。

東洋医学陰陽論や五行思想などと、道教(タオ)がバックボーンになっています。

 

道教(タオ)の一節を独自に解釈してみます。わたしの大好きな箇所です。(第一章、第二十五章)

 

名づけられないもの(無名)が存在して、そこから天と地が出現した。

「それそのもの」には名前が無いから、それを仮に「道(タオ)」と名づけて話をしよう。

だけど「道(タオ)」について話していくと、「それそのもの」から離れていくよ。

だから「道(タオ)」という言葉に囚われないで、「それそのもの=名づけられないもの」を思い起こしてね。

 

なにが気に入っているかというと、

名前を付けるということは「それ」に枠を入れることになると言及しているからです。

名づけてしまったら、それは規定されてしまいます。

「それ」と「それ以外」に分かれるということです。

名づけることの危うさに注意を向けているのです。

道(タオ)には作用・行為が含まれる

もう一つ気に入っているところは、

「道(タオ)」というネーミングです。

 

「道(タオ)」は、どこか(目的)に行くために歩くところです。

 

東海道五十三次を歩く」という時を除けば、道を目的にする人はあまりいないのではないでしょうか。

 

東海道五十三次を歩く」も、厳密に言えば「道」が目的ではなく、「道を歩く」という歩く行為が目的なのです。

 

そして「道」は、歩く者がいなければ「道」になりません。

 

「道(タオ)」の言葉自体に、作用・行為が含まれているところが気に入っているのです。

 

何かによって宇宙が創造されたよりも、何かの作用・行為によって創造されたと考える方が、わたしにはしっくりとくるのです。

(まぁ厳密に言えば、いろいろあるのですが・・)

 

すべてがいっぱい詰まっている無

また、わたしは臨済宗坐禅を習ったので「無」というのが馴染みます。

 

名づけえないものを「すべてがいっぱいに詰まっている無」という独自な言い方をします。

「一即多」「色即是空 空即是色」に近い感じです。

 

まぁこれがわたしの根本的な世界観です。

 

これを根底にして、宇宙、こころや身体を読み解いていきます。

読んでくださると嬉しいです。